変換

夏。

毎日外に出ると「暑いなあ。」と呟いてしまう。
夏だから。

蝉がみんみんと鳴いている。
夏だから。

スーパーに丸々とした西瓜が並んでいる。
夏だから。

山だか、海だか、自然に囲まれた場所へ行きたくなる。
夏だから。

噴き出してくる汗を拭う時「夏が好きなんだな」と思う。
何故かと聞かれても、よくわからないけど。

なんだか、書き始めたら詩のようなものになってしまいました。。。
前回のブログ投稿で、活字に向かう気が起きなかったと記しましたが、その翌日あたりから、活字が、まさに噴き出してくる汗のように、からだの中から湧いてきました。
それは、決壊したダムのように、爆発的に。
からだの内側にあるものを、活字に変換してゆく作業は、ある意味では形のないものを器に入れて行くようなもので、その器の形によってからだの中から噴き出したモノたちの形も決まってしまう。もちろん、そのモノに対して間違った形の器や、合わないものを避けつつ、噴き出してくる一片一片に、正当な形を与えてゆくような作業です。

そんな作業によって、次の作品の創作が始まりました。書き始めたのは、新作イメージテキストに至る以前の、覚書のようなものです。それは本ブログの冒頭に書いた、短いセンテンスの連なりのようなもので、まだまだテキストあるいは文章としては、断片的で、センテンス同士の意味の繋がりも曖昧なものですが、これを書き進め、推敲して行くことによって、作品のイメージテキストとして、少しづつ全体の形を形成して行くわけです。テキスト化することによって、私自身の現在のからだそのものを言語化するような作業と言っていいと思います。さらに、その後、自分のからだやダンサーのからだを借りて、テキストを再び身体化して行く。それが、リハーサルで行われる振付作業にあたります。

今書いているものは、作品としては次回のカンパニーの新作になるわけですが、完成までにはここから1年余りの時間が必要となります。

逆に言えば、一年後には、舞台作品として完成する。

長いようで、短いね。
まるで、夏のように。


創作は、もう、始まっています。