2016-01-01から1年間の記事一覧

あぶすとらくと

踊るということは、言葉を突き放すことで言葉と一体となることである。一個の身体の境界を超えながら動かされることで動かす、あるいは動かすことで動かされるということでもある。時空から抽象性を削り出し、感情や思考、意味性をも超えた世界に共存する。…

その時

久しぶりの更新となる。もう、以前このブログを読んでくれていた人も、この場所に興味を失った頃なのかもしれない。ある意味このブログは失われた場所である。失われた場所に存在するのは、失われたものや、失われた言葉や、失われたカラダなのだろうか。と…

知るということ

自分のカラダ。 自分自身のものでありながら、案外知らないことが多い。 自分が所有しているものは物の数ほどにあるのだが、それらは全て捨てることができる物でもある。言い換えれば所有しているものを全て失ったとしても、自分は生きることができる。 自分…

言語の不必要性

昨日、京都からきたまりが来岡し、10月のきたまり・KIKIKIKIKIKIの公演の打ち合わせを行った。 作品は昨年からきたまりが始めたプロジェクト(マーラーの交響曲第1番から第10番までを振付するもの)の2作品目にあたるもので、楽曲は第7番の「夜の歌」…

価値観の値打ち

東京にて。 神楽坂でCORVUS「親愛なるアルトーさんへ」を観了し、ホテルにチェックイン。 今日という日は、彼の国において二つの巨大な建造物が崩落してから、15年目にあたる。 また、今日という日は、この国において二人の長身の男が、その身体思想を持っ…

違う

皆が皆、同じであるはずはない。 という前提が存在する。 「違うのだ」という決定的な事実に直面するときに、コミュニケーションは必要とされる。赤ん坊が自他の区別と同時に、言葉を覚えて行くように。 ただし、コミュニケーションはその相違を理解するため…

産み出すため

昨日のNEWSで「岡山の明日の天気は雨、ところによっては強風を伴う豪雨となる」と言っていたが、明けて今日、台風はどこかに消え去ってしまった。岡山は午後から晴れ上がり、台風への備えも空振りに終わった感がある。さすがは、晴れの国、と、言えるのかも…

think and move

昨日ブログ再開を宣言して、二日目にして何も書かないのもあれだ。 ということで、アトリエ開始前に、事務所で虫の音を聞きながら、そそくさと書く。まだまだ日中は夏の盛りといった暑さだけど、日が暮れ始めると一気に秋の気配へと変貌する。夏と秋を同時に…

再び開始

このねんがらねんじゅうブログ、かなり長い間公演の告知用となってしまってましたが、本来のブログとして再び開始することにしました。何故そのこのような経過を辿り、現在に至ったのかは例によってここで語られることはありません。 何にせよ、ねんがらねん…

Henry・C・Muller

ダンスユニット、Henrry・C・Muller始めます。Henry・C・Muller 「生物」北陸ダンスフェスティバルにて 日時 5月14日18:00〜 会場 金沢21世紀美術館 シアター21 出演 高須悠嵩 田中麻美 三浦宏之 作・構成 三浦宏之 詳しくは下記サイトで http:/…

独断と偏見

当初予定しておりました狂喜乱舞は1年間の12回。ということで、おそらく最後の乱舞となるかもしれません。 今週末の情報を掲載します。会場となる禁酒会館は僕が12年前に初めて岡山で踊った場所です。 皆様のご来場を心よりお待ちしております。 狂喜乱…