産み出すため

 昨日のNEWSで「岡山の明日の天気は雨、ところによっては強風を伴う豪雨となる」と言っていたが、明けて今日、台風はどこかに消え去ってしまった。岡山は午後から晴れ上がり、台風への備えも空振りに終わった感がある。さすがは、晴れの国、と、言えるのかもしれない。昨日市内各所で配布されていた、大量の土嚢の行方は如何なるものか。
 という訳ですっかり秋。
 8月の暑さと忙しさから、一息つく間もなく、秋の忙しさがやってくる。忙しい時ほど忙しさに拍車がかかるもので、今週末から来週にかけてWS→東京泊→レッスン→松山→京都ダンサーとの打ち合わせ→その間クラスが幾つか、締めはMLIの秋合宿と続く。もう少し日程を満遍なくすることが出来なかったか。さらに合宿明けには岡山で笠井瑞丈×小暮香帆によるWSと公演。
 しかし、忙しい割には実入りが伴わない。もう少し頭を使わなければならないということか。
 お金は与えられるものでなく、産み出すものであるとの信条だけれど、産み出したものはいずれ、手元を離れて行くものでもある。それも一つの信条である。そこで頑なに離さずにいたら、本来の貨幣の価値は失われてゆく。
 貨幣は消費のために存在するのではなく、生産のために存在している。
 産み出すためには、頭を使わなければならない。
 それは現代に生きる人間の、思考の原点とも言える。