違う

 皆が皆、同じであるはずはない。
 という前提が存在する。
 「違うのだ」という決定的な事実に直面するときに、コミュニケーションは必要とされる。赤ん坊が自他の区別と同時に、言葉を覚えて行くように。
 ただし、コミュニケーションはその相違を理解するためのものでしかなく、コミュニケーションによって完全に「同じ」になることは不可能だ。ただ、近付くことは出来るのかもしれない。触れることも出きるかもしれない。もちろん、突き放すことも出来るし、否定することも出来る。
 それだけ。
 
 故に、
 違うということは、素晴らしい。