中止

 既にご存知の方も多いかと思います。
 今週末、せんだい演劇工房10-BOXで上演される予定だったM-laboratory「DAWNORDUSK」は、宮城県および仙台市での新型コロナウイルス感染拡大によって同県・同市から発令された独自の緊急事態宣言を受けて、中止の判断としました。
 また、昨日仙台市によって発表された公共施設等の使用停止の要請から、会場となるはずであった10-BOXも4月11日まで臨時休業となったことによって、実行の判断を下していたとしても上演は叶わなかったことになります。

 中止の判断に至ったのは3月22日未明のことです。前日の21日は、公演に向けたリハサールの最終日を終えたところでした。翌23日には仙台入りして、24日の劇場入り待つだけとなったところでの、ぎりぎりの判断となりました。
 私は17日に宮城県の感染者数が急増してからずっと、最大限情報収集をしながら、ツアーメンバーと話し合い、熟慮を重ねてきました。それは「今、とるべき行動とは何か」ということです。そして、結果、最終的にとった行動は「止める」ということでした。
 これまで上演に向けてともに労力を費やしてきてくれた出演者やスタッフの皆、仙台で上演に向けて尽力して頂いた現地スタッフの方々、そして既にご予約いただいていたお客様、全ての期待に応えられなかった判断であることは承知しています。

 決断するにあたり決定的な理由となったのは「人ひとりの命は、芸術のそれよりも重い」という考えです。これは現在の状況下では色々な考え方があるとは思います。ただ、私はこの状況において、ほんの少しでも人の命や健康を損なう可能性があるのであれば、そこに向かうべきではないと考えています。もちろん、上演に関しては、感染防止対策を徹底すれば、劇場内での感染リスクは回避することはできるとは思います。しかし、自宅と劇場の移動に関しては、その範囲ではありません。たとえ、可能性が限りなく低かったとしても、絶対にゼロではない。
 「作品の命」というものもあるのだという考え方も理解できます。しかし、現実に生きている人ひとりの命と、作品の命というものを同等に捉えることは私にはできません。作品は決して発表されることでのみ、命を宿すものではないと考えています。上演されなくとも、既にその命は脈打っている。と。
 たとえその可能性がどれだけ低くとも、人命の犠牲の上に(そこに目を向けぬままで)芸術はあってはならないのだと思っています。
 もちろん、人の行動理念や考え方は多様なものであり、各々が個人の責任に基づいてそれぞれに行動することを否定するものではありません。私はそれを理解しています。

 また「緊急事態」という言葉の持つ重さに、純粋でありたいという想いがあります。この一年で、その言葉の持つ重みが欠いてきていると感じているのは、決して私一人ではない筈です。数日前までの(現在もですが)東京の繁華街の人出を見れば、それは明白なものとなっています。そこに広がる景色は、どのような眺め方をしてみても「緊急事態」という言葉で捉えることができるものではない。
 これは一体、どういった現象なのか。中央政府の発出する言葉の方が、国民の意識と乖離しているのか、それとも発出された言葉に対して、国民理解の方が至っていないのか。私には分からない。
 私にとって言葉とは、生きることと、行動するための「基準」となるものであり、私の活動は、その多くが言葉によって定義されています。そのような考えから上記のような現象を捉えると、この国の言葉(とその定義)が崩壊し始めているようにも思います。であるとするならば、それは非常に危険な状態です。
 私はこの「緊急事態」という言葉を、純粋に(それは、このような状況の中では馬鹿正直にとも言えるのかも知れませんが)捉え、自ら定義するところに忠実であるべく、実行しようと決めています。
 よって宮城県および、仙台市が「緊急事態」である以上(たとえ世間がそうは感じていないとしても)その段階で上演を実行に移すことは考えられませんでした。

 止めるということは、非常に(場合によっては実行する以上に)労力のかかる行動となります。しかし、止めることは、現在の状況においては、一つの意思表示ともなり得ます。
 現在、経済を止めることは出来ないという(一見もっともらしい)ロジックから、中央政府はこれといった施策もないままに、だらだらと物事を後回しにしている状態が続いています。それは単純に、現政権(この国)には止める力が備わっていないからです。法的な問題もあるのかも知れないけれど、私にはそれは言い訳にしか思えない。ただ、その力がないだけです。
 このような状態が続くと、経済はおろか、文化や、日々の生活までもが、衰退してゆくのは目に見えています。

 私たちは、この状況から、何を学ぶのか。
 全ての個人に、問われている。

 

 「DAWNORDUSK」は「今」の「ここ」を共有することを目的として、昨年の春から長期クリエーションが重ねられてきました。
 そして、3月27日28日に共有される「今」の「ここ」とは、この判断をも含むものとして、完成されるのだと思っています。

 

 再び、仙台に向かえる日のために。

 

 ここまで、ともに歩んでいただいた、皆様全てに、心から感謝しています。
 ありがとうございます。