一体

 2019年も年の瀬。
 いつもと変わらぬ街なのかもしれないけれど、行き交う人々を眺めていると、どことなく暮れてゆく年を感じるのだから不思議なものです。デパートにはクリスマスツリーと正月のお飾りが同時に並んで、季節感があるのだか、ないのだか。
 何故だかは分からないけれど、この時期になると、多くの人々が浮き足立っているように見える。
 それが、一年を十二進法に定めた世界の、ありのままの姿なのかも知れない。
 もちろん私も御多分に洩れず、どことなく浮き足立つ訳だけれど。

 このように、私は言葉を活字化し、綴る。
 そして、これは一体なんだろうと思う。

 先日、ある作家さんの個展を見に行った時に、展示されている無数の作品の中に「踊るように話す、話すように踊る」というタイトルの平面作品が目にとまった。その作品は以前同作家さんの個展に伺った時にも展示されていたものだ。その時には作品タイトルに興味は持ったものの、それほど強い印象として残らなかったのだけれど、今回そのタイトルを目にして作品を眺めた時に、タイトルが「言葉」としてダイレクトにからだに語りかけてきたような印象を受けた。

 「踊るように話す、話すように踊る」

 人間が言語によるコミュニケーションを原始形成し始めた頃と時を同じくして、踊りも始まったのだということ。言語とダンスは、それ以前は一つのものとして存在していて、例えば吠えるとか、叫ぶとか、甘え声を出すとか、叩くとか、威嚇するとか、跳ねるとか、走るとか、撫でるとか、非常に原始的な行動と、それに伴う発声でしかなかったものが、少しずつ複雑高度化してゆき、ある瞬間に、発声に伴う領域で言語が生まれた。と同時に行動に伴う領域として、踊りが生まれたのではないだろうか。
 とするならば、言葉と踊りは、もとは一つのものだったのだと考えらる。

 人類の進化における重要な局面として、言語の獲得があったのだとするならば、それは同じくして踊りの獲得でもあった。また、世界の各地域において言語が異なるのと同じように、その地域によって踊りも同様に異なる様式を持っているということも、興味深いところでもある。
 さらに現代においては、言葉とダンス、といったようなコンセプトや、振付家やダンサーが「言葉について、あるいは、言語においての表現や、思考を試みる」ような機会が多く見られ、そういった状況自体が、踊る者は無意識のうちに言葉との一体性への欲求をその内に秘めているのではないかとも思わせる。

 日本人である私は、生まれた直後から日本語による発声をからだの内に取り込み、やがて発語し、日本語を母国語として成長してきたのであるから、私のおどりは日本言語領域のもの(身体)であるのだと思われる。例えこれまでにバレエのメソッド等、海外のダンス様式を体得してきているとしても、それを始めた時期が20歳前後からともなると、それは英語の習得を20歳から始めたのと同じだと言える。それは単に習得したものでしかなく、私のからだに入り込み、私自身を構成してきたものとは若干異なる。
 バレエのメソッドで言えば、日本人ダンサーの中にも幼少期からバレエを始めた、という方も多くいる。3歳からとか、6歳からとか。例えば、現在のような英語教育を3歳から始めた日本人はどうだろうか。20歳から始めた私とは違って、幼少期から流暢な英語を話すようになることが多い。故に幼少期から日本地域以外の様式のダンスを体得している人は、その様式が身体に入り込んでいることの方が多い。
 要するに、習ったのではなく、母国語と同じように、からだに取り込まれたものなのだ。

 話を戻すと、現代のダンスの中の一つの流れとして「二つに別れた言葉と踊りを、原始へ戻すという方法ではなく、更に高次な領域において、再び一つのものにしようとする」ような状況があるのではないかと思う。進化の為の逆行として。
 しかし、そもそも何故二つに別れたのか。私にはその理由を明確に語ることは出来ないけれど、そうする「必要性」があったから、そうなったのだと仮定してみる。すると、では、二つに別れたものを、何故、再び一つのものとしなければならないのか。そして、そこに「必要性」は語られるのか。という疑問が湧いてくる。

 その理由となりそうなものに、現代の言葉からは身体が失われ、記号化されつつあるから。という、テクノロジーに関わる事象が含まれているような気がする。定かではないけれど。
 また「必要性」に関しては、それが為されたのちに、語られるのだろうと思われる。

 ともあれ、一つの衝動がそこにはある。ということは確かなようだ。

 「踊るように話す、話すように踊る」
 一つの平面作品が、私の言語空想を後押ししているようです。

 タイミングが合えば、いずれその作品を購入したいと思う。。。