明晰
桜が綺麗な季節となりました。
自然は迷いなく、粛々と自らの役割を果たしているように思います。
何はなくとも、この季節は活動的な気持ちになるものですね。それも人の役割として、自然の中にあるものなのかも知れません。ぼちぼち、地中に眠る動物たちも地上に現れて、自らの営みを自然の中で謳歌するのだろうと思います。
遡れば、数年前から私自身の表現の向かう先というものについてあれやこれやと考えてきたのですが、その思考の片鱗のようなものが私自身の中に無数に収集され、一部はその都度ある種の形態を伴って作品として(それは舞台であったり、書籍であったり、時には美術であったり、それぞれの思考の特性に準じて)結実されてきました。思い返せば、既にその時点で起こっていたことではあるのですが、もはや表現の形態というものは私にとっては特定されるものではなくなっていたのではないかと思います。
さらにはその過程において、私自身が向かうべき表現と、自らを定義するものとの間に少なからざる違和感が生じていることも認識していました。
このような違和感は、舞台作品創作を始めた当初から常に感じていたものでもあるのですが、ここ数年でそれが何であるのかが、明白なものとなったように思います。
そして、それは「私とは何か」という、絶対的な疑問に繋がります。
それが何であるのかということを、今、断言という形で確実に言語化することはできません。
しかし、その言語化へと至るためには、一つの決断が必要であると考えています。
1999年に丸山武彦と共に活動を開始したM-laboratoryは2021年3月現在まで「ダンスカンパニー」として継続されてきました。20年という期間、集団表現の一つの形態として「ダンスカンパニー」という看板をかかげてきたことになりますが、2021年4月1日より「ダンスカンパニー」から「アートコレクティブ」へと集団の形態を変更することとしました。
それに伴い、これまでのカンパニー構造による固定メンバー制という形は排除されることになります。もちろん、これまでメンバーとして活動をともにしてきた人たちとの協働が排除される訳ではありませんが、今後はさらに多くの可能性を含んだ形での、集団による創作の構造を模索してゆくことになります。
また、創作の構造の変革は、同時に分野区別からの解放が含まれています。
これまでのように、ダンス、舞踊といった文脈にとどまることなく、美術、音楽、演劇(全ての領域における現代と古典)を含む広義の意味においての創作に向かい、作品の焦点を拡大することとなります。よって、M-laboratoryの創作は、興行という経済構造の上に成立している、既存の舞台作品創作のみに限られないものにもなるのではないかと考えています。
私自身は、振付家でもダンサーでもなくなります。
M-laboratory主宰という肩書きも必要としなくなります。
これは、ある意味においては、権威主義的なものとヒエラルキズムに取り込まれてしまわぬための予防策でもあるのかもしれません。しかし、私はそういったものから全力で逃避し続けるつもりです。
自らを定義するものを、疑うために。
実のところ「ここまでくるのに20年かかった」「やっと辿り着いた」という思いがしています。何故かはわかりません。しかしそれは明晰な感覚を伴いながら、今、私自身を動かす力となっています。
今日満開の桜も、数日後には散ってしまうでしょう。しかし、そこからまた一年をかけて、次に花開く時のために力を蓄えてゆきます。それこそが、自身の果たす役割であるということも知らずに。
自然と同様、時代も巡るのだと考えます。