変革

 252日ぶりの更新。

 252日というと8ヶ月と少しくらいでしょうか。前回の投稿は昨年の緊急事態宣言中のことでした。それから8ヶ月が経ち、年も変わって2021年。年明け早々の本日、2回目の緊急事態宣言が示唆されましたね。それについては殊更に語るべきことはありませんが、8ヶ月もの間、更新をしてこなかった理由は語ろうかと思います。

 昨年、世界に起きた激動は少なからず人間の身体感覚、思考性、行動の基準に変化をもたらしてきました。そしてその変動はこれから先も、数年間は揺れ動きながら続くものだと考えられます。また、そういった変化の揺れ動きが収まった後に、再び安定の世界を取り戻したとしても、そこにあるのはコロナ発生以前とは大きく異なる世界であることは疑いようもありません。

 昨年の緊急事態宣言解除後の8月に拙著「こぼれおちるからだたち」を刊行しましたが、言葉を書籍という形あるものに起こしてゆく作業の中で、インターネットでの言葉の発信に疑問が生じるようになりました。それは書籍の中でも語られてはいるのですが「情報に特化されてしまうことで、身体性が失われてしまった言葉に対して諦念した」ということです。
 そのような理由から、本ブログの更新を一定期間断つことを選んだのです。
 8月の書籍刊行を皮切りに、東京での個展や舞台の新作公演などを入場の制限をかけながら行なってゆくなかで、やはり会話という身体を介した言葉のやりとりの重要性を再認識しましたし、その認識は世界に変化が起こる以前には感じられなかった領域まで、私のからだに刺さってくるものでもありました。その時点ですでに、私の感覚、思考、行動は全てにおいてその基準が変化してしまっていたと言えます。

 環境の変化が、私を変えたのです。

 そう言ってしまうと大袈裟なように聞こえるかもしれませんが、少なくとも私の立っている地点(と、そこに広がる景色)を完全に変えてしまったとは言えると思います。
 たとえそれがどのような状況であったにせよ、世界や環境が変化することは、そこに生きる全ての存在に変化を促します。冬が来れば植物が葉を落とすように、世界と環境の変化は、人間の存在そのものを変化させます。それが、自然の摂理であるように。

 自然は、不自然な構造を自然な状態に修正する、自浄の力によって自らを保っている。

 ふと、昨年の暮れあたりから、再び本ブログに目が向くようになりました。
 ここからまた、言葉を発しなければならないのではないかと。そのような思いに至ったみたいです。なぜ、そのように変化したのかはわからないけれど、それを私が求めた以上、その理由はそこにあるのだと思います。

 本年は変革の年となります。
 何卒よろしくお願いいたします。