その時

 久しぶりの更新となる。もう、以前このブログを読んでくれていた人も、この場所に興味を失った頃なのかもしれない。ある意味このブログは失われた場所である。失われた場所に存在するのは、失われたものや、失われた言葉や、失われたカラダなのだろうか。とはいえ、この場所は失われずに存在しているので、このように更新することができる。更新することによって、失われたものたちは、何かを取り戻すのだろうか。更新されることで、完全に消失してしまうのか。
 まあ、失われてはいないのだけど。
 
 どうでもいい話だ。
 
 話は変わる。
 時間について考えている。例えば7年という歳月がある。その時間が変化させるものとは一体如何程のものか。多くの人が生まれ、多くの人が死ぬ。形あるものは壊れ、破壊から新たな事象が生み出される。風が吹き、波が打ち寄せては引き、空を飛ぶために設計された機械は墜落する。雨が降り、山が崩れる。崩れた土砂は人や物を飲み込み、崩れた斜面にはいずれ新たな植物が生え育つ。
 7年という歳月に地球上で起こる変化は天文学的な数値に及ぶだろうが、地球は太陽の周りを7周するだけである。同じ軌道をぐるぐる回っているだけである。
 
 そのような運動の上にあって、私の考えうる時間の尺度などは、失われる以前にもともと存在すらしていないに等しい。

 
 
 
 
 7年という時間の経過が、私をそのように変化させた。
 
 間も無く、猶予期間が終わる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 その時、時間から解放される。