空白

 年明けから始まったカナダのToronto Dance Theatreとのコラボレーション”Co-Conspirators Project”(直訳すると「共謀者計画」です。すごいネーミングですね。)も、一ヶ月余りが経とうとしています。もちろん、この状況下ですのでやりとりはオンラインによるもの。でもオンラインだけではなく、手紙(Air mail)によるテキストやドローイング等、アナログでのやりとりも同時に行っています。これは離れた空間でのコミュニケーションのやりとりに生じるタイムラグという現象を顕在化させる方法の一つとして提案されたものです。

 実際にオンラインミーティングを行っている時には、地球の半周分くらい離れているにも関わらず、ほぼオンタイムで相手とやりとりが可能なわけですが、それでも(システム上の問題なのかは分からないけれど)ほんの少しのラグが生じます。その、ほんの少しのラグが、インパーソン(同じ空間でからだとからだを向かい合わせる状態)でのコミュニケーションと比べて、どれほど変化あるいは劣化をもたらすのかは、現状では未知数なように思います。

 対して手紙(Air mail)によるやりとりは、手紙が物理的に空間を移動するために1週間程度のラグが生じます。(さらに、現在はコロナ禍の影響によって物流が滞っているため、実際には10日以上の時間を要しています)しかしながら、それだけの時間をかけて、実際に物質が空間を移動するという意味においては、コミュニケーションの行為としては確かな実感というものが伴うことになります。実際に私の書いた文字や絵などが、相手の手に触れることになるわけですから。それでも、タイムラグはオンラインと比べると非常の大きなものになる。

 タイムラグという、ずれ、あるいはギャップというものを一つの空白として考えるならば、オンラインで発生するほんの少し(一瞬)の空白は埋められることなく、コミュニケーションにおいては単なる違和感として放っておかれることになりますが、アナログのやりとりで発生する空白というものはとても大きく、数日間に渡るものにもなるので、そこには充分な思考の時間が流れることになります。その間、熟慮することができる。
 その空白をどのように埋めるか。あるいは、その空白に如何なる絵を描くのか。その、大きな空白部分こそが、創作のためのキャンバスとなっているような気がします。

 そもそも芸術というものは、今、そこにある空白を埋めるという、至極単純な行為であるのかもしれません。

 今後のプロジェクトの推移として、2月の中旬には第一回目のシェアリングとパブリックショーイングがオンラインで行われることになります。現在、私はそのための準備として「違和感」「有無」という二つのことばをキーワードに、テキストと声と風景から構成される、短いビデオ作品を試作しています。まだパーツを収集している段階ではあるけれど、そのパーツが一つ増え、二つ増え、となってゆく中で、作品の造形がぼんやりと浮かび上がってくるように感じています。空白の時空が少しづつ埋められてゆくかのように。

 ともあれ。
 私たちには、空白が必要なのだと思う。
 ゆっくりと眺めることができて、深く思索に耽るために、余りある空白が。