一塊

雨が降ったり止んだり。
その雨も降っているのかいないのか、傘をさすべきか否かを考える。
東京はここ数日、はっきりしない天気が続いています。昨日の東京の日照時間はたったの8分。今日はまた、一日中雲に覆われた空。いよいよ青空が恋しくなるなあ。
来週あたりには、梅雨明けするのではという話もちらほら聞きますが。。。

まあ、とにかく、夏は近いのかな。

一部で告知はされ始めましたが、次回M-laboratory公演が11月中旬に決定しました。
詳細情報公開までは、もう少し時間がかかりそうではありますが、中旬というのだから、カレンダーを見れば日程に関しては概ね見当はつきますね。そう、その辺りです。

次回は、カンパニーとしては初の試みとなる形態での公演となります。
ここら辺りから、公演の内容に関わってくる話なのであまり多くは語れませんが、カンパニーとしての活動の間口を広げるという意味で、これまでとは別の方法論による創作と上演になっていると思います。

新しい試み。

20年という長い期間、カンパニーとして活動していると(途中、7年休んでいますが。。。)どこかで無意識に一つの方法論に入り込んで、その方法に疑問を持たぬまま走り続けてしまうこともあるようです。ある意味ではそれは一種の独自性とも取れるのだけど、別の視点からすると柔軟性の欠如であるとも言えます。
自らの独自性に拘り過ぎるあまりに、過去に引きづられて、固まってゆく。
柔軟な思考で、方法論を変化させてゆくことで、自らの未来を拓く。
独自性と柔軟性のどちらが良いのかということではありませんが、どちらにせよその一端に偏ってばかりいると、バランスを失って取り返しがつかなくなってしまうか、あるいは化石化してしまう(過去に埋もれて固まってしまう)のではないかと思います。

過去は古く、未来は新しい。

もちろん、過去も未来も、古きも新しきも、否定するものではありません。ただ、それらは全て有るのだということ。有るのであれば、それら全てに向かう必要があるのだということ。時間や歴史を線や点で捉えるのではなく、一つの塊として捉えることが必要なのかも知れません。

独自の、柔軟性で。
古き過去の集積によって、新たな未来を拓いてゆく。

48回目の夏は、すぐそこか。