妥協

本日のリハーサルでも、不在について肌身にジリジリと感じる時間を過ごす。
ある限定された状況においての「いない」は、そのままイコール「待つ」という身体的状況を誘発する。そして、その状況においての不在は、不在であるものの存在そのものを、待つ者のからだに感じさせている。如何に、その存在が、大きいのかを。
それは「いない」ではなく、「いる」と同等なのだ。

そして、その存在が大きければ大きいほどに「待つ」という行為は、肌身に染みる。

あなたがいない世界」は不在の存在によって成立する世界であり、「いない」ものが「いる」世界だ。「いない」ものを起点とし、「いない」ものを含めた全ての存在を、肯定する世界とも言える。

存在を、肯定する。
不在を含めて。

メンバーは皆、限られた時間の中、その世界の構築にからだで向かっている。
時間は有限で、作品の質量に見合わないことの方が多い。そして、日々のリハーサルにおいて、今回出演するメンバーのうち、誰かがいる時には、他の誰かがいないという状況が続く。それはメンバー個々のスケジュールによるものだが、私はパズルのピースを嵌め込んで行く作業に追われる。それでも、時間はそれに追いついてはこない。
有限だからだ。

しかし、私は有限である物事に対し、妥協するつもりはない。

ダンサーの踊るからだも、まだ、一つも二つも先に伸びる筈だし、もっと内圧をかけられる筈だ。さらに時間を我が身のものとしてコントロールすることも可能だし、深く他者を侵食することも出来る筈だ。

妥協点とは、私にとっては事象の地平面のようなもので、それを受け入れてしまったら、あるいはそこを越えてしまったら、自らの行動原則を、自ら否定することになる。
それは、私が私をやめるということでもある。

そのような、作家の至極勝手な理由による頑なな考えは、時としてメンバーに対して無理強いをすることにもなりかねないのだが。
やはり、そこは、妥協できないのです。

本番まで、あと2日。
いないものへ向けて、妥協することなく。

からだから、世界を構築する。