求めなくとも訪れるもの

 久しぶりの東京滞在。何ヶ月ぶりかな。う〜ん、分からないな。去年の初夏くらいだったかなあ、前に来たのは。。。忘れた。まあいい。

 久しぶりだからだろうか、東京は大きく変貌していた。とまでは言わないけれど、よく見ると細かな箇所が沢山変わっている。変わっている箇所が全体から見るとあまりにも小さいので、一瞥ではその変化に気がつくこともないのだろうけど、気がつけばそれはその数の多さから、相対的な変化としては大きな変貌となって目に映るのだ。無数の細胞が入れ替わって、ほんの少しづつ身体の形を変化させてゆくのと同じように。
 相対的とも言える大きな変化は、無数の極々微細な絶対的変化の集積によって完成される。どの時期にどちらに視点の重きを置くか、そのタイミングによって変化がもたらす印象は大きく異なってくる。そして、タイミングは必然性よりも偶然性によって作られている。
 
 変化は偶然起こるものである。必然ではない。
 
 とは言っても変化が起きた後に振り返って考えてみると、その変化は必然であったのだと思うことも多々ある。ただ、それは偶然に対しての解釈として存在する必然性である。なぜなら偶然性は人智で捉えることが出来ないからだ。あるいは理解を超えた現象に対する、恐怖と否定と言っても過言ではない。そのようにして、人は自らを肯定させる術を備える。神秘的であり、宗教的であると言ってもいい。
 
 昨年から「移動」という行為をテーマに作品創りに入っているが、今年はそれに「変化」という現象が付随されてくる。
 
 
 
 
 絶対的な変化に向けて、相対的に移動を捉えてみようと思う。
 
 これが、今年の抱負となりそうだ。
 
 
 
 
 あと、
 
 
 
 
 
 
 ストイックであるということ。
 
 かな。