それに対する意識

 昨日、アトリエの前に今年の秋に企画しているワークショップの打ち合わせをしました。県外から振付家を招聘して数日間滞在でクリエーションワークをしてもらうというもので、この企画は表向きはワークショップという形態ではあるけれど、その実、ワークショップ参加者の所謂参加意識というものを再考するものでもある。これまでの「ワークショップ受講者」という意識での参加から「振付家の創作に携わる表現者」としての参加を促してゆくものといった趣旨がそこにはあったりする。
 主催する側の目的意識が地域文化振興に特化したり経営目的が複雑に絡んでくると、こういった「個人の意識の変革」みたいなものが置き去りにされてしまうところがあって、そうなると振付家と参加者の関係も、先生と生徒の関係といった構図になって行きがちなような気がする。振付家はワークショップにおいて教える事に特に疑問を抱かなくなり、参加者は教わる事に慣れ過ぎてしまう。結局はそこで両者の意識は足りてしまうようになる。あるいは何かが止まってしまう。
 
 参加者が「何故参加するのか」という命題を常に持たなければならないのと同時に、主催する側も「何故それを興すのか」という命題について既存とは別の視点から考え続けていなければ、やっぱり、何というか、まあ、面白くならないよね。
 
 今回招聘する振付家の名前等詳細はまだ明らかには出来ませんが、その時が来たら掲載しようと思います。