近づく

 昨日Works-M Vol.5「在/不在」インスタレーション展示第一会期が岡山県天神山文化プラザで始まりました。
 身体の記憶というテーマで展示された複数の作家の作品の中にあって、実際に身体の入る作品がどういった印象になるのかと思っていましたが意外に違和感は感じられなかった。(というのはあくまで僕の印象ですが)
 それでも鑑賞する方は美術という括りの中におられる方が多いでしょうから、目の前の作品に生の身体があるというのには不慣れな方もおられる事とは思います。

 今日僕自身作品の中に入った訳ですが、その時にけっこう多くの方が何故か遠巻きから鑑賞されていたようです。やはり近寄りがたいという感じなのかな。僕にはその感覚はあまり分からないけど、そういう人がいるという事はなんとなくは分かる。

 美術なのか、舞踊なのか、演劇なのか。結局はそういった括りが人の想像をある意味で束縛しているのかも知れません。だからアートという柔らかい言葉で括られる。表現活動を始めた頃にはアーティストと呼ばれる事に違和感を感じていたけれど、結局はそういった便利な(曖昧な)言語が一般にまで浸透してくると、特になんでもなくなる。どこかで感覚が麻痺しているだけなのかも知れないけれど。
 それとは反対に芸術家や表現者という言葉はほとんど聞かれなくなってますね。言語は昨今殊更に流動的に変化していますが、曖昧なものいいへの変化というのはどうもしっくり来ない。

 芸術家でもアーティストでも文化人でもなんでもいいんだけど、出来る事ならいつまでも冒険する事を忘れたくないですね。勿論それは鑑賞者やお客さんにも同じ事が言えるのだけれど。
 明日はもう一歩踏み出して、訳の分からないものにも近づいてみましょう。
 
 
 
 
 あれよと言う間に秋も深まってますね。そろそろ石油ストーブを出そうかな。