コミュニケーション。その本質。

 3月ももうすぐ終わろうとしている。間もなく4月になろうとしているのに、今年は桜の開花が遅いなと思っていたら、今日東京で桜が開花したとの知らせを友人からもらった。春が来た。でも、まだ、寒い春なのかな。
 今月は色々と考えさせられる事の多い月だったけれど、今にして思うのはコミュニケーションのあり方を考え直さなければな、という事。インターネットや携帯メールの普及によって離れた人とのコミュニケーションは格段に早くなったし、一度に不特定多数の人に情報を配信出来るようになって、とても便利になった。今さら言葉にするまでもないけど。便利は便利、それはそれ。でも、早くなったり、大勢と共有出来るようになった事で、一人の人に自分の気持ちをしっかりと伝える事の方が薄くなっているような気もする。携帯電話でのコミュニケーションはいつも携帯している便利な道具を使えば、指先だけでぱちぱちとボタンを押すだけで、どこにいてもいつでも相手に自分の気持ちを伝える事が出来るけれど、結局はそれだけである。例えば、お店に行って便箋や封筒を選んで買って来て、机に向かって、万年筆で書くか、ボールペンで書くか、はたまたインクの色は何色にしようかなどと考えて、時間をかけて文章にして、封筒をのり付けして、切手を貼る。そして郵便ポストまでてくてく歩いて(歩くかどうかは人それぞれだろうけど)ポストに手紙をスッと投函する。そんな手間ひまの中に、意識すらしなかったものの、相手への強い思いのようなものがミルフィーユのクリームのように差し込まれているような気もする。
 たかがそんな事でも、されど、と思う。コミュニケーションの中に、身体が入り込む余地を、やっぱり残していかなければならないのだ。と。
 時間に追われて小走りになるよりも、時間と共に歩きながら本質を見極めたい。