Moving thought(移動に関するスケッチ)

 日本には色々な都市に様々なダンサーや振付家や作家がいる。そのうちのいくつかの都市の幾人かの人達とは親交を深めていたりするけれど、ふと考えてみると、その中で自ら進んで他の都市に自作品をアプローチしてゆく人はそう多くはない。多くの人は自らの都市、いわゆる地元で作品を作り、そこで発表している。また、キュレーターや制作会社などの企画によって他の都市で作品を発表する機会はあるが、それは自ら進んでというのとは少し様相が異なる。その企画自体を発想しているのは、キュレーターであり、プロデューサーの方で、作家や振付家自身ではないからだ。
 
 要は流通の目的が問題なのかも知れない。
 
 作品を流通させる事を目的とするのと、人を流通させる事を目的とするというアプローチの相違。
 作品を流通させる事によって起こる人の流通と、人を流通させるために流通する作品を起こす事。この二つの間には、多少の違いしかないように思われるけど(というかほとんど違いが分からないかも知れないけれど)目的意識としては確実に発想が異なる。

 こんな事を考えていて、ふと思うのが日本のカンパニーや劇団という所謂芸術活動集団の力が落ちているのかも知れないなあ。。。という事。70年代、80年代あたりの活動集団にはしっかりとした理念があって、発想力と企画制作力、そして実行力が備わっていたのだなあと。今の集団にあっては(そういった活動集団そのものも少なくなっているようにも思うけど)発想力は備わっていても理念が足りなかったりするから、企画制作力とそれにともなう実効性が分離してしまっているような気もする。制作委託という受注構造がメインにあって、自らそこを開発してゆくという体力がないのか。

 活動とはなんであるのか。ムーブメントとはなんであるのか。ブームはムーブメントとは明らかに違う。ムーブメントを起こすという事は人の流通と密接に関わっているのではないだろうか。さらなる人の流通を促してゆく事を目的とした活動というものが、ムーブメントを生み出す一つの要因になっているような気がするのだが。さて。
 
 むむむ。。。
 
 
 
 
 ムーブメント。