昔の日本人がイメージしたこと(移動に関するスケッチ)

 最近訳あって回遊庭園、主に枯山水の庭などに興味がある。出来れば今年の早いうちに京都龍安寺の石庭あたりからから少しずつ見に行ってみたいなあと。
 
 ここのところ今年の企画などをつらつらと考えていて、上記括弧内の主題から始まって行き着いたのが枯山水。何故、移動と枯山水なのか。遡ると少し複雑で長くなるけど、ほんの少しここにスケッチしておこうかな。
 
 何年か前に横尾忠則展を見に行った時にひっかかった言葉が「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」というもので、これは鴨長明方丈記」の冒頭にあたる文章。移動するという行為やその状態と、上記の言葉にふと繋がりを感じていたものの、それはそれ、今回の作品イメージには深入りさせずとも、、、と思っていた。しかし企画を練っているうちに空間構成として面白いなと思い始めたのが移動しながら楽しむという回遊庭園、そして行き着いたのが、枯山水
 枯山水には「水無くして水を感じよ」といった思想があったりして、そこでその考え方自体が方丈記の冒頭の一文にダイレクトに繋がったという事なのです。実際枯山水静物を配置することで(配置の方法によって)動きを表現しているものもある。
 
 「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と「水無くして水を感じよ」。どちらも今回の作品のイメージとしてしっくりと馴染む。常に移動し続けているもの、それゆえに実態として捉えられないもの。それらを抽象的にあるいは具体的にイメージして、空間に配置してみる。見えない流れが作り出す砂紋のような空間。そこに漂う身体。うむ。
 
 空間に対して、移動をどうアプローチさせるか。
 移動という行為、状態を、空間にどう配置するか。
 
  
 
 
 移動する事を目的とした移動。そうだ、散歩に行こう。