記憶の森

 長く続いた忙しさから少し離れてみると、その多忙さの中で忘れ去られていた、小さな物事の多さに驚かされる。要はプライオリティーの問題なのだけど、実はそんな優先順位の低いもの達に、優先させていたものが支えられているのだという事も改めて分かる。

 情報端末が普及する前の事は、もうほとんど憶えていないけれど、その頃、忙しさの中で自分が忘れてしまった事というのは、ただ、既に忘れ去られた事として消失していった。あるいは、忘れ去られた存在として、ただそこにあった。例えば、暗い森の奥深くでジッと身をすくめている小動物みたいに。しかし、情報端末の普及によって、その森は伐採されてしまっているようである。小さな動物達は身を隠す事も出来ずに、安住の場所を求めて彷徨っている。

 僕の記憶の許容量はいかほどのものか。多くの人が自分の記憶の許容量で補いきれない部分を端末に記憶させているように思う。メインのPCにサブのハードディスクを繋ぐように。目まぐるしく行き交った時間軸から解放されて、ふとその時を振り返って、PCなり、携帯メールなりを遡ると、そこには僕自身が既に忘れてしまっていた事が克明に記録され、残されている。最早、僕の記憶力は既に時代のそれからは取り残されているのだ。

 出来る事ならば、小さな動物達が安心して眠れるように、僕はその森を残しておきたいと思う。そして、あわよくば、僕自身も、その森の中で眠りたい。

 さらば、情報化社会。



 
 



 とは言っても、適当につきあいますけど。。。