学ぶ

 おそらくは日々の生活を通して、多くの事を学んでいる。あるいは身体を通して。
 自分の身体感覚というのは流動的で、それは時間とともに絶えず変化してゆくから、その時々の感覚を自ら知覚し、自覚する事それ自体が、学ぶという行為に等しいものとなる。感覚というものは、すごく簡単に二分すると、自分にとって心地よいものと、不快に感じるものとに分けられるが、知覚した感覚がそのどちらであったとしても、思考と身体でそれを消化して行かなければ自覚には至らない。自覚出来て初めて身体的に何かを学ぶことになる。ただ、ある意味でそれは、連綿と続く挑戦とも言えるのだけど。
 そこには何か、永遠性すら感じさせるものがある。
 なんだか、意味不明な事をつらつらとメモしましたが、これが、生の原理であって、人の成長を促すものなのではないかと。…言い過ぎか。