とある人との会話で、話の流れから「子供の頃に母がよくデコレーションケーキを作ってくれた」という話をした。ケーキ作りは誕生日やクリスマスだけでなく、なんの日でもない普通の日にも頻繁にあった。ただ単に母はケーキを作るのが好きだったんだろうな。と思う。そして我々子供達がケーキやなんかを欲しがる年頃でもあったので、買って来るより作った方が安かろう、という考えもあったのかも知れない。とにもかくにも理由が何であれ、小さかった僕は母が作るケーキが大好きだった。
 そして今日、話の流れで、ふとその事を思い出したのだ。その上何故かそれが、言いようもない思いとなって僕の心を打った。なんだろう。それは、やさしさとか、喜びとか、刹那さとか、そんなものだろうか。
 僕が子供だった頃の母が作ったケーキが、心を打ったのだ。んんん…。
 例えばそんな、心を掴まれて絞られるような思いは、年齢を重ねてここ最近頻繁に起こるようになっている。つい先日も、久しぶりに実家に帰省し、夕食を食べ終えて、食器をキッチンに運んだ時に、シンクの上に転がっていた大根が、心を打ったのだ。んんん…。なんせ、大根が、転がっているのだ、シンクの上に。心を打たない訳がなかろう。一本の大根が多くの記憶とイメージを掘り起こしてしまうことだってあるのだ。齢、四十にもなると。
 心を打つものが、自分の記憶やら、自分の周囲やらに増えるようになるという年の重ね方は、なかなかにして悪いものではないと思う。あ、でも、ケーキにしても、大根にしても、打心のきっかけとなるものは、大抵、食べ物だな。。。食べるという行為自体に、心打つ何かがあるのかも知れないな。。。そういえばスパゲティーミートソースを食べてたら突然涙が溢れてきた、という事もあったなぁ。