基礎

日によって、初夏の陽気が訪れるようになりました。
昼間はTシャツ一枚で外出できるような気温になったりもして、Tシャツにジーンズとスニーカーという軽装好きの私としては、ぼちぼち心踊る季節になってきました。

しばらく更新を休んでいましたが、その間に「からだアトリエ」に加えて「ベーシッククラス」が開講しました。
アトリエは主に表現を軸としたクラスで、基本的にはあるタスクを参加者自身がどう動くか、どう描いてゆくか、といった個人の自由な表現から、自身のスタイルを構築してゆく方法論を実践しているのですが、ベーシッククラスは文字通り基礎訓練を軸としています。
踊る基礎というものをどのように捉えるかは千差万別の考え方があると思いますが、私の考えるところでは「自らの基礎を創る行為」と言ったところでしょうか。基礎を創るために基礎がある。という何だか分かりづらい言い回しとなってしまうのですが、実際にそうなのだから仕方ありません。

基礎というものは、与えられるものではないからです。

特に自分のからだを道具として扱うダンサーにとって、自らのからだを主観的に捉えてゆくことは、本人にしか出来ない。客観的に捉えることは、基礎的な考え方を伝えるために存在する、所謂、講師によっても可能ではあるけれど、踊るその人のからだを、別の人が主観的に捉えることは不可能です。あなたの頬を叩いて、私がその痛みを感じることが出来ないのと同様に。
そして、自身のからだを主観的に捉え、さらにはそこに自ら客観性を加えてゆくことで、その人のからだの中で基礎は少しずつ、自然に組み立てられてゆく訳です。
それが、自分が表現のための道具でありながら、その道具を扱う者になるということなのかも知れません。

基礎とは何か。

常にそこに立ち返る行動そのものが、基礎と言えるのではないでしょうか。
そしてそれは、継続的な反復によってのみ成されるものであるのです。