音楽

四半世紀前あたりから、国内においても無音×即興×ソロといった公演があったり、ラジオ放送を音楽として使用したり、DTMが台頭してきたり、その他諸々、ダンスに対しての音楽の捉え方というものが実験的に解体されたり、再構築されたり、抽象化されたり、脱構築されたりし始めたのではないかな、と私は感じているのだけど、それは単にその頃から私が頻繁にダンス作品を見るようになったというだけのことなのかも知れない。

若かりし頃、二十歳そこそこの私は当時目黒にあったアスベスト館で、とある音楽家に「音楽があるから踊るのか」「踊ることで音楽が生まれたのか」といったようなことを質問したことがある。

その質問に対して、その方はこう答えた。

「どちらかではなく、からだが先にあります。」

と。

それから30年近く経とうとしている今、ダンスに対しての音楽的アプローチというものは多様性を極めているような気がする。さらに、その多様性のあり方はそのまま「音楽とは一体何なのか。」という不可解なものに対するシンプルな知的欲求(あるいは身体的欲求)を刺激してやまない。

ジョンケージが4分33秒を作曲した1952年から67年。

私はその曲に自らのからだの音を聞く。